逐节对照
- 新标点和合本 - 就是 神的义,因信耶稣基督加给一切相信的人,并没有分别。
- 和合本2010(上帝版-简体) - 就是上帝的义,因信耶稣基督 加给一切信的人。这并没有分别,
- 和合本2010(神版-简体) - 就是 神的义,因信耶稣基督 加给一切信的人。这并没有分别,
- 当代译本 - 人只要信耶稣基督,就可以被上帝称为义人,没有一个人例外。
- 圣经新译本 - 就是 神的义,因着信耶稣基督,毫无区别地临到所有信的人。
- 中文标准译本 - 那就是:神的义藉着对耶稣基督的信仰 ,临到所有信的人,并没有分别。
- 现代标点和合本 - 就是神的义因信耶稣基督加给一切相信的人,并没有分别。
- 和合本(拼音版) - 就是上帝的义,因信耶稣基督加给一切相信的人,并没有分别。
- New International Version - This righteousness is given through faith in Jesus Christ to all who believe. There is no difference between Jew and Gentile,
- New International Reader's Version - We are made right with God by putting our faith in Jesus Christ. This happens to all who believe. It is no different for the Jews than for the Gentiles.
- English Standard Version - the righteousness of God through faith in Jesus Christ for all who believe. For there is no distinction:
- New Living Translation - We are made right with God by placing our faith in Jesus Christ. And this is true for everyone who believes, no matter who we are.
- Christian Standard Bible - The righteousness of God is through faith in Jesus Christ to all who believe, since there is no distinction.
- New American Standard Bible - but it is the righteousness of God through faith in Jesus Christ for all those who believe; for there is no distinction,
- New King James Version - even the righteousness of God, through faith in Jesus Christ, to all and on all who believe. For there is no difference;
- Amplified Bible - This righteousness of God comes through faith in Jesus Christ for all those [Jew or Gentile] who believe [and trust in Him and acknowledge Him as God’s Son]. There is no distinction,
- American Standard Version - even the righteousness of God through faith in Jesus Christ unto all them that believe; for there is no distinction;
- King James Version - Even the righteousness of God which is by faith of Jesus Christ unto all and upon all them that believe: for there is no difference:
- New English Translation - namely, the righteousness of God through the faithfulness of Jesus Christ for all who believe. For there is no distinction,
- World English Bible - even the righteousness of God through faith in Jesus Christ to all and on all those who believe. For there is no distinction,
- 新標點和合本 - 就是神的義,因信耶穌基督加給一切相信的人,並沒有分別。
- 和合本2010(上帝版-繁體) - 就是上帝的義,因信耶穌基督 加給一切信的人。這並沒有分別,
- 和合本2010(神版-繁體) - 就是 神的義,因信耶穌基督 加給一切信的人。這並沒有分別,
- 當代譯本 - 人只要信耶穌基督,就可以被上帝稱為義人,沒有一個人例外。
- 聖經新譯本 - 就是 神的義,因著信耶穌基督,毫無區別地臨到所有信的人。
- 呂振中譯本 - 然而上帝救人的義、卻是憑着那信耶穌基督的心、加給一切信的人的;並沒有區別:
- 中文標準譯本 - 那就是:神的義藉著對耶穌基督的信仰 ,臨到所有信的人,並沒有分別。
- 現代標點和合本 - 就是神的義因信耶穌基督加給一切相信的人,並沒有分別。
- 文理和合譯本 - 即上帝之義因信耶穌基督及於諸信者、無所區別、
- 文理委辦譯本 - 即上帝以人信耶穌 基督、而稱其義、概以賜諸信者、悉無區別、
- 施約瑟淺文理新舊約聖經 - 即天主因人信耶穌基督所賜之義、賜諸信者、悉無區別、
- 吳經熊文理聖詠與新經全集 - 天主之正義、惟憑信仰耶穌基督、而加於篤信者之身;無偏無倚、一視同仁。
- Nueva Versión Internacional - Esta justicia de Dios llega, mediante la fe en Jesucristo, a todos los que creen. De hecho, no hay distinción,
- 현대인의 성경 - 예수 그리스도를 믿는 사람이면 누구나 차별 없이 하나님에게 의롭다는 인정을 받습니다.
- Новый Русский Перевод - Праведность от Бога дается через веру всем, кто верит в Иисуса Христа, потому что нет различия.
- Восточный перевод - Праведность от Всевышнего даётся через веру всем, кто верит в Ису Масиха, потому что нет различия кто ты.
- Восточный перевод, версия с «Аллахом» - Праведность от Аллаха даётся через веру всем, кто верит в Ису аль-Масиха, потому что нет различия кто ты.
- Восточный перевод, версия для Таджикистана - Праведность от Всевышнего даётся через веру всем, кто верит в Исо Масеха, потому что нет различия кто ты.
- La Bible du Semeur 2015 - Dieu déclare les hommes justes par leur foi en Jésus-Christ, et cela s’applique à tous ceux qui croient, car il n’y a pas de différence entre les hommes.
- Nestle Aland 28 - δικαιοσύνη δὲ θεοῦ διὰ πίστεως Ἰησοῦ Χριστοῦ εἰς πάντας τοὺς πιστεύοντας. οὐ γάρ ἐστιν διαστολή,
- unfoldingWord® Greek New Testament - δικαιοσύνη δὲ Θεοῦ διὰ πίστεως Ἰησοῦ Χριστοῦ, εἰς πάντας τοὺς πιστεύοντας; οὐ γάρ ἐστιν διαστολή.
- Nova Versão Internacional - justiça de Deus mediante a fé em Jesus Cristo para todos os que creem. Não há distinção,
- Hoffnung für alle - Gott spricht jeden von seiner Schuld frei und nimmt jeden an, der an Jesus Christus glaubt. Nur diese Gerechtigkeit lässt Gott gelten. Denn darin sind die Menschen gleich:
- Kinh Thánh Hiện Đại - Chúng ta được kể là công chính bởi đặt đức tin trong Chúa Cứu Thế Giê-xu. Sự thật này cho mọi người tin, không phân biệt một ai.
- พระคริสตธรรมคัมภีร์ไทย ฉบับอมตธรรมร่วมสมัย - ความชอบธรรมจากพระเจ้านี้ผ่านมาทางความเชื่อในพระเยซูคริสต์ไปถึงคนทั้งปวงที่เชื่อ ไม่มีข้อแตกต่างกัน
- พระคัมภีร์ ฉบับแปลใหม่ - พระเจ้านับทุกคนที่มีความเชื่อในพระเยซูคริสต์ว่า ได้รับความชอบธรรมจากพระเจ้า เพราะคนทั้งหลายไม่ต่างกันเลย
交叉引用
- コリント人への手紙Ⅰ 4:7 - いったい何について、そんなに得意になるのですか。あなたの持ちもので、神からいただかなかったものがありますか。その全部が神からいただいたものなら、どうして、さも偉そうにふるまうのですか。また、どうして自力で何かを成し遂げたような態度をとるのですか。
- ローマ人への手紙 9:30 - では、どういうことになるでしょう。信仰によって与えられる神の救いを求めなかった外国人は、救いの機会を得ました。まさに、信仰による救いです。神は、信仰によって無罪とされる機会をお与えになりました。
- ルカの福音書 15:22 - ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。『さあ、何をぼやぼやしている。一番良い服を出して、この子に着せてやりなさい。宝石のついた指輪も、くつもだ。
- ローマ人への手紙 4:3 - というのは聖書に、「アブラハムは神を信じた。それがアブラハムの義と認められた」(創世15・6)と書いてあるからです。
- ローマ人への手紙 4:4 - では、アブラハムが天国に行く資格を得たのは、良いことをしたからでしょうか。違います。救いは贈り物として与えられるものです。もし善行によって救われるとすれば、もはや贈り物ではなくなってしまいます。しかし、救いは無償なのです。救いは、自分の力で手に入れようとしない人にこそ与えられます。なぜなら罪人が、「キリストは自分を神の怒りから救い出してくださる」と信じる時に、神は彼らを正しい者と宣言してくださるからです。
- ローマ人への手紙 4:6 - ダビデは、救われる価値のない罪人が、神から「罪のない者」と宣言される幸いについて、こう言っています。
- ローマ人への手紙 4:7 - 「罪を赦された者、罪をすっかり消された者は、 なんと幸いだろう。
- ローマ人への手紙 4:8 - もはや主に罪を数え上げられずにすむ人の喜びは、 どんなだろう。」(詩篇32・1-2)
- ローマ人への手紙 4:9 - すると、次のような質問が出て来ます。この祝福は、キリストを信じた上に、さらに割礼をはじめユダヤ教の規則を守っている人にだけ与えられるのでしょうか。それとも、ユダヤ教の規則は守らなくても、ただキリストを信じてさえいれば与えられるのでしょうか。アブラハムの場合はどうだったのでしょう。「アブラハムは信仰によってこれらの祝福を受けた」と言われています。それは、ただ信仰だけによったのでしょうか。それとも、ユダヤ教の規則も守ったからなのでしょうか。
- ローマ人への手紙 4:10 - この質問に答えるためには、まず、次の質問に答えなければなりません。神はいつ、アブラハムにこの祝福をお与えになったかということです。それは、彼がユダヤ人として認められるための儀式である割礼を受ける前のことでした。
- ローマ人への手紙 4:11 - アブラハムが割礼を受けたのは、神が彼をその信仰のゆえに祝福すると約束された時より、もっとあとのことです。割礼を受ける前に、アブラハムはすでに信仰を持っており、神はすでに彼を受け入れ、ご自分の目から見て正しい者、義なる者と認めておられました。割礼はそのしるしだったのです。こうしてアブラハムは、ユダヤ教の規則に従わなくても、信じて救われるすべての人の父とされています。ですから、これらの規則を守っていない人々も、信仰によって神から正しい者と認めていただけることがわかります。
- ローマ人への手紙 4:12 - アブラハムは同時に、割礼を受けているユダヤ人の信仰の父でもあります。ユダヤ人には、アブラハムの例から、自分たちがこの割礼の儀式によって救われるのではないとわかるはずです。アブラハムは、割礼を受ける前に、ただ信仰によって神の恵みを受けたからです。
- ローマ人への手紙 4:13 - そういうわけで、全地をアブラハムとその子孫に与えるという神の約束は、アブラハムが律法に従ったからではなく、神は必ず約束を果たしてくださる、と彼が信じたからこそ与えられたことは明らかです。
- マタイの福音書 22:11 - ところが、王が客に会おうと出て来ると、用意しておいた婚礼の礼服を着ていない客が一人います。
- マタイの福音書 22:12 - 『礼服もつけずに、どうしてここへ入って来たのか』と尋ねましたが、その男は何とも返事をしません。
- 使徒の働き 15:9 - 神様は、外国人とユダヤ人を少しも差別なさいません。だからこそ、私たちと同じように、信仰によって彼らの心もきよめてくださったのです。
- ヤコブの手紙 2:23 - ですから、「アブラハムは神を信じた。それで神の目に正しい者と認められた」(創世15・6)という聖書のことばどおり、彼は、「神の友」と呼ばれるまでになったのです。
- イザヤ書 61:10 - 神が私をどんなに幸福にしてくださったか、 お話ししましょう。 神は私に救いの衣を着せ、 正義の外套をかけてくださいました。 私はまるで、婚礼の服をまとった花婿、 宝石で身を飾った花嫁のようです。
- ピリピ人への手紙 3:9 - もはや、良い人間になろうとか、律法に従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリストを信じることによって救われ、キリストと結ばれるためです。神が私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰――ただキリストだけを信じ頼ること――を持っているかどうかで決まるからです。
- ガラテヤ人への手紙 3:6 - アブラハムも同じ経験をしました。彼は神の約束を信じたというだけで、天国へ入る資格を与えられたのです。
- ガラテヤ人への手紙 3:7 - このことから、心から神に信頼する人はだれでも、アブラハムの真の子孫となることができるのです。
- ガラテヤ人への手紙 3:8 - 聖書は、信仰を持った外国人が救われる時のことを予告してきました。神様がずっと昔、アブラハムに、「どこの国の人であろうと、あなたのようにわたしを信頼する人を祝福しよう」(創世12・3)と宣言されたのは、このことを意味していたのです。
- ガラテヤ人への手紙 3:9 - そういうわけで、キリストに信頼する人はみな、アブラハムと共に祝福をいただくのです。
- ローマ人への手紙 2:1 - こう書くと、あなたは、「なんてひどい連中だろう」と言うかもしれません。しかし、悪いことにかけてはあなたも、五十歩百歩ではありませんか。「そんな悪い連中が罰を受けるのは当然だ」ときめつける時、ほかでもない自分自身にそう言っているのです。自分も同じことをしているのですから。
- ローマ人への手紙 4:20 - アブラハムは少しも疑うことなく信じ、そのことがまだ実現しないうちから、その祝福のゆえに神を賛美しました。
- ローマ人への手紙 4:21 - 彼は、神の約束はどんなことでも実現すると堅く信じました。
- ローマ人への手紙 4:22 - この信仰のゆえに、神は彼を義と認められたのです。
- ローマ人への手紙 5:1 - ですから、信仰によって神の目に正しい者とされた私たちは、主イエス・キリストによって、神との間に平和を得ています。
- ローマ人への手紙 5:2 - 信仰のゆえに、キリストは私たちを、いま立っている、この最高の特権ある立場に導いてくださいました。そして私たちは、私たちに対する神の計画がすべて実現するのを、喜びをもって待ち望んでいるのです。
- ローマ人への手紙 5:3 - ですから私たちは、さまざまの苦しみや困難に直面した時も喜ぶことができます。それによって忍耐を学ぶからです。
- ローマ人への手紙 5:4 - 忍耐によって私たちの品性が磨かれ、さらに、それによって希望が与えられるのです。こうして、私たちの希望と信仰は強められ、どんなことにも動じなくなるのです。
- ローマ人への手紙 5:5 - この希望は失望に終わることはありません。それは、神が聖霊を与えてくださり、その聖霊が私たちの心に神の愛を満たしてくださっているからです。
- ローマ人への手紙 5:6 - 私たちが逃れる道もなく、行き詰まっていた時、キリストはおいでになり、何のとりえもない、私たち罪人のために死んでくださいました。
- ローマ人への手紙 5:7 - たとえ私たちが良い人間であったとしても、だれかが自分のために死んでくれるなどとは考えてもみなかったでしょう。
- ローマ人への手紙 5:8 - しかし、私たちがまだ罪人であった時、神はキリストを遣わしてくださいました。そのキリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに大きな愛を示してくださったのです。
- ローマ人への手紙 5:9 - キリストは、罪人のために血まで流してくださったのですから、私たちが無罪とされた今は、もっとすばらしいことをしてくださるに違いありません。今やキリストは、神の怒りから、私たちを完全に救い出してくださるのです。
- ローマ人への手紙 5:10 - 私たちが神の敵であった時でさえ、ひとり子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいですから、私たちが神の友となり、神が私たちのうちに生きておられる今は、どんなにかすばらしい祝福が備えられていることでしょう。
- ローマ人への手紙 5:11 - 私たちは、神との驚くべき新しい関係を心から喜んでいます。それはただ、主イエス・キリストが私たちの罪のために死んで成し遂げてくださったこと、すなわち、私たちを神の友としてくださったことのおかげなのです。
- ローマ人への手紙 8:1 - こういうわけで、今は、キリスト・イエスに属する人が罪の宣告を受けることはありません。
- ガラテヤ人への手紙 2:16 - しかし、私たちユダヤ人クリスチャンにしても、律法の行いを守ることによって神の前で正しい者と認められたのではありません。ただ、罪を取り除いてくださるキリスト・イエスを信じる信仰によって認められたのではありませんか。だからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。それは律法によってではなく、信仰によって神に認められるためです。律法の行いを守って救われる人など、一人もいないのですから。」
- コロサイ人への手紙 3:11 - そこでは、国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは全く問題ではありません。大切なのは、キリストをしっかりつかんでいるかどうかです。そして、キリストを自分のものにする機会は、だれにも平等に与えられているのです。
- ガラテヤ人への手紙 3:28 - もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女という区別はありません。みな、キリスト・イエスにあって一つなのです。
- ローマ人への手紙 10:12 - ユダヤ人と外国人との区別はありません。同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、恵みを惜しみなく与えてくださるからです。